「幸せになりたい」みんなそう思っています。
でも、幸せに暮らすことが意外と簡単なことはあまり知られていないように感じます。
どうすれば毎日幸せに暮らせるのか?その答えは、
「幸せを感じるレベルを下げる」ことです。
禅的に言うと「足るを知る」ということと似ているかもしれません。
感情に浮き沈みの波があることは避けられません。
こんな風に。
その波がある一定レベル以上だと幸せだと感じ、以下だと不幸だと感じます。
では、そのレベルを下げてみましょう。
ほぼずっと幸せな状態が続いています。
幸せと感じるレベルを下げるのは、とても簡単なことです。
ちょっとしたことでも幸せだと思うようになればいいんです。
今日は涼しいなあ、とか、コーヒーがおいしいなあとか。
当たり前だと思っていることが、実はすごく恵まれていることに気がつくと毎日を幸せに暮らせます。バスや電車がほぼ時間通りに来たり、カフェでバッグを置いて席を外しても持っていかれることがないなんて海外では考えられません。日本はなんて恵まれているんだと感じます。
小さなことに幸せを感じる練習をしていくと、最初はわざとらしく感じるかもしれませんが、そのうち自然に思えるようになります。
そして、いつも幸せそうにしている人には、幸せが寄ってきます。
2001年に、「旅学」という雑誌がありました。
この一枚は、そこに掲載されていた写真です。
ここに書かれている文章と写真に非常に説得力があり、当時衝撃を受けました。
“本当に必要な物は少ないということを教えてくれるのが旅であり、
必要のない「いるかも」を手放していくことで、自由を手に入れることができる。“
”旅とは何を持っていかないかという策略のことである“
と締めくくられています。
私は、その後バックパックを背負って、オーストラリアに渡りました。
語学留学であり、旅をすることが目的ではありませんでしたが、渡豪の半年後には自転車に乗ってオーストラリアを走っていました。
$50程の中古自転車に乗って、自分で背負える分の荷物だけでの生活です。
私が走ったシドニー‐メルボルン間は、砂漠こそないものの山だらけで、荷物の多さはまさに命取りです。しかも季節は夏でした。「これ使うかも」というものを持つくらいなら食料と水のほうが重要です。(もちろんパンク修理道具も)
まさに、「何を持っていかないかという策略」でした。
一日中ペダルをこいで、山をいくつも登っては下りる理不尽さに耐えて、町が見えたときの喜びを感じ、気に入った町では数日間滞在する旅は、物質的には自由な生活とは言えないかもしれませんが、精神的にはこの上ない自由を手にしていました。
“必要のない「いるかも」を手放していくことで、自由を手に入れることができる。”
という言葉を実感した経験です。
本当に必要な物は少ないということを教えてくれる“旅”。
シンプルな暮らしを目指す私の原点です。